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見たまま、感じたまま、思ったまま

(その5)その後~現

社会人になって2年目、念願の一人暮らしを始めた。
ずっと自宅生だったが、高知県の西の端、四万十川の辺りの中村市の市民び病院に派遣される事になったのである。

引っ越しの手伝いに来た母親は、その帰り道に涙をこぼしたそうだが、彼女には悪いけど、僕はもう一人暮らしを出来るのが嬉しくて嬉しく・・。
やっぱし大人になって、一度は親元を離れなきゃね。

引っ越しは本当にわずかな荷物で、居る物は全部現地で買いそろえたけど
何せ田舎。ステレオは気に入ったのが無かったので、夏に帰省したときに
物色。CDとアンプとスピーカーとカセットというシンプルな組み合わせで35万円くらいの大枚をはたいて買いました。

丁度1年くらい前からCDのソフトが出回り始めた頃。
当時は学生時代の名残で、ジャズ関連のCDを買うことが多かった。
学生時代はモロのモダンジャズだったけど、その頃はジャズの香りを持ちながら、他のジャンルとクルロスオーバーしたもの。スティングの「ブリング・オン・ザ・ナイト」とか、浅川マキの「灯ともし頃」「マイ・マン」など。
あ、その後レーザーディスクも買って、スティングやジョニミッチェル、オーティスレディングなど、色んなミュージシャンのライブを見た。

その後2年して、大阪の堺へ転勤。
そこで大きな転機が現れた。
ちょうど1990年頃から、ワールドミュージック、つまり西欧以外のラテン、アフリカ、アジア、アラブ地方の音楽のブームが始まったこと。
そしてその頃に大阪という都会に居た事が、大量の今までと違う分野の音楽に触れる条件可能にした。

CDを物色するのは主にミナミだった。ワルツ堂、新生堂、タワーレコード、スターレコードで日本版と輸入盤を、そして名前忘れたけど、心斎橋の裏通りにあったエスニックレコード専門の店も、僕のローテーションに入っていた。日本版でワールドミュージックや邦楽を購入する傍ら、ジャズやロック、ブルースなどは輸入盤でごっそりと買っていた。一度出かけると、一気に30枚くらい買い込んで帰宅するのが普通だった。

まあ、1枚のレコードを半年毎日聴いていた中学高校の時代とは全く違う生活になったわけで、家で居るときには殆どずっと何か音楽がかかっていたけど、買って来たCDも多くは数回聞いて終わりと言う感じで、知識は増えたけどそれに伴う感動は増えたのかとつい自問してしまうんだよね。

その頃によく聞いたのはサルサのウイリーコローン、ルーベンブラデス、サンバのカルトーラ、エリッチカルドーゾ、アフリカのサリフ・ケイタ、ユッスー・ン・ドゥール、トーマス・マプーフォ、パパ・ウェンバ、フェラ・クティ、インドネシアのエルフィ・スカエシ、シンガポールのディック・リー、アラブ(ライ)のシェブ・ハレド、マルチニークのKALIなど。
日本人ではじゃがたらにはまり、明田川荘之や武田和命などの日本人のジャズメンに出会ったのもこの頃。
洋楽ではヴァン・モリソンやボブ・マーレー、Pファンクなどの黒い香りのするものを買いあさった。
今持っている1300枚くらいのCDの半分以上はこの頃に買った物だと思う。

33歳で徳島へ帰ってきて、35で結婚、翌年に子供が出来てからはめっきりとCDを買う機会が減ってしまった。
毎月ミュージックマガジンでチェックはしてるけど、実際にレコード屋へ行っても、注文しないとまず店頭には置いてないし、その手間を考えるとんざりして・・(年なのかな?)
ネットを始めてからは、ネット通販やオークションで主に日本人のマイナーな物や、昔買えなかった関西フォーク系のCD化されたものを買っている。
大塚まさじ、西岡恭蔵、光玄、友川かずき、南正人、ソウルフラワーユニオンなどが最近のお気に入り。あ、若くて(笑)メジャーな人では鬼束ちひろは好きだなあ。

そんな風に40代前半はおとなしく過ぎて行ってます。
今後どのような出会いがあるんだろうか?
風化していかないように、常に耳を新しい方へ向けて置きたいと思います。

素敵な出会いがあればいいなあ。



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